どんな製品でもそうですが、同じ機種であっても1台1台少しずつ異なっている、言い換えると個体差があるものです。大抵の工業製品の場合にはその個体差は実用上問題にならない程度におさまっているものですが、中には明らかに違いが分かる上に問題になるものもあります。それがあまり極端なら不良ということになるのでしょうが、正常なものを知らないと不良と気づかないケースもありますし、なかなかひとことでは片付かない問題のように思います。
さて、ヘッドホンの場合ですが、当然個体差はあります。外観、装着感、遮音性、音漏れ等についてはマイナーチェンジでもない限りそれほど大きな個体差はないと思うのですが、音質は明らかに違いが分かることがあります。どちらかが不良というケースもあるのでしょうが、音質については明らかにおかしいものを除いて不良と断定するのは難しいことが多いと思います(ヘッドホンは機種によって大きく音が異なるというのも、断定するのを難しくしている一因だと思います)。そういう「不良と断定することが難しい音質差」については、今回は個体差に含めることにします。
何となくですが、ヘッドホンの音質の個体差は一般的に想像されているよりも大きいのではないかと思います。個人的な経験からすると、かなり微妙な原因(例えばホコリよけのスポンジの微妙な質感の違いやハンダ付けの加減等)で音質が変わるような印象を持っています。とは言え、個体差を確かめるには同一機種のヘッドホンを複数入手する必要がありますし、普通はそういうことはあまりしませんから、個体差がどの程度あるのかは曖昧なままになっているように思います。
そこで、今回はその個体差を測定によって見てみようという試みです。実はこの個体差ネタはかれこれ3年程前からやろうと思っていたものなのですが、他に優先順位の高い更新が沢山あったためずっと延期されてきました。しばらく前に、個体差の大きそうな機種(HP-S150)と出会い、今回ようやく実行することができました。
まず、今回個体差を見たHP-S150は以下の3台です。
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A:ホワイト、08年7月amazonで購入(発売直後)
B:ブルー、09年2月Joshinで購入(在庫なしでメーカー取り寄せ)
C:レッド、09年7月ヨドバシAkiba店頭で購入
厳密な意味で個体差を見るならカラーを統一して同一ロットの個体を集めた方が良いのですが、今回はなるべく広い範囲で見るためにわざとカラーやロットが異なるようにしました(実際にロットが違うかは確認できませんでしたが)。
カラーを除いて、外観、装着感、遮音性、音漏れ防止等については特に差異は見られません。マイナーチェンジの可能性も考えて細かくチェックしましたが、特に変更点はないように見えました。ちなみに、Aを購入した際、明らかに左右の音量差が大きく不良だったので、初期不良扱いで交換してもらった経緯があります(つまり、今回使用したAは2台目のものです)。
ヘッドホンは通常左右一組なので、個体差と言う場合には左右一組を一つの個体として別の個体との差異を指しますが、今回は左右を別の個体と考えて左右別々に測定を行います。これは、左右で音量・音質差があることが理由で、データ数を増やすという目的もあります。以降、個体Aの左チャンネルをAL、右チャンネルをARという具合に表記します。
測定誤差をなるべく小さくして音量の変化まで含めた個体差を見られるようにするため、ヘッドホン端子とマイク端子のボリューム位置は固定し、ヘッドホンのみをセットしなおす形で測定を行いました。測定に使用した機器は、ECM8000とFastTrackProです。
・周波数特性
ALをベース(青色)に、それ以外の結果(赤色)を表示してあります。なお、測定精度を上げるために普段と異なる方法で測定していますので、いつもの周波数特性の測定結果とは単純に比較することはできません。
この結果を見ると、今回測定したサンプルは二つのグループに分けることができると思います。一つはAL・BL、もう一つはAR・BR・CL・CRです。明らかに低音の出方が違います。ただ、1kHz前後の盛り上がり方を見るとBRは少し違っていて、どちらのグループにも属さないような印象も受けます。
音量差がどれくらいあるのか見るため、上のグラフから1kHzの音圧を抜き出してみます(ALを基準0dBとします)。
AL 0dB
AR +5.1dB
BL -7.7dB
BR -2.1dB
CL +5.2dB
CR +2.5dB
最大で12.9dBの差があります。HP-S150の出力音圧レベルは105dB/1mW(メーカー公表値、何Hzでの値かは不明ですが1kHzと仮定します)ですから、仮にCLが105dBだったとすると、BLは92.1dBということになります。12.9dBがどのくらいの音量差なのか実感が湧かない人でも、ヘッドホンについてある程度知っている人なら105dBと92.1dBの違いの大きさが実感できるのではないでしょうか(105dBはヘッドホンの出力音圧レベルとしては平均的ですが、92.1dBはかなり小さい値です)。
・100Hz・1kHz・10kHzのサイン波の再生
ALをベース(青色)に、それ以外の結果(赤色)を表示してあります。測定方法については不定期コラム第51回をご覧下さい。
BLについては測定ミスかと思い色々チェックしなおして何度か測定しましたが、同様の結果でした。これまでの経験からするとドライバーがしっかり固定されていないとBLのような結果になることがあるので、そのせいかもしれません。BLは除くにしても、周波数特性の測定結果と同様ある程度の違いが見て取れます。グループ分けするなら、AR、BR、CL、CRが一つ、ALとBLはそれぞれ別のグループになりそうです。CRは違うようにも見えますが、200Hzと300Hzのピークがないのは低域の音圧が全体的に低いことが原因で、不要な倍音が出にくいということではないと思われます。
それから、測定誤差がどのくらいあるのかおおまかに把握するためにセッティングをしなおしてCRを3回測定した結果、下図のようになりました(ベースの青がこれまで使ってきた結果です)。測定条件そのものは同じです。
この3回の測定結果を見ると、誤差はそれほど大きくないように見えます。少なくとも、今回測定した計6個のサンプルのサンプル間の違いよりはずっと小さいように見えます。
また、実用上は個体差よりも左右の音量・音質差の方が重要という考え方もあるかと思います。折角なので、今回の測定結果を左右の音質差が見やすいようにまとめてみます。
多くのヘッドホンでは左右で音量・音質を合わせるというような作り方はしていないようで、左右で若干の音量・音質差があるのは普通です。ただし、今回のHP-S150は少々極端な例で、AやBほどの違いは安価なヘッドホンでもそれほど多くはありません。C程度の違い(1kHzで2.7dB、低域は4dB前後)は、安価なヘッドホンでは良くあると思います。
測定の前に実際に耳で音を聴いていますが、測定結果とだいたい同じような印象です(もちろんあまり細かいところは分かりませんが)。AとBは左チャンネルの方が低音が明らかに少なく音量も小さいですし、Cにしても左右で若干音が違うために違和感があるような印象です。
今回のケースだと、AとBについては左右の音量・音質差が原因で音を聴いて不良と判断する人も多いと思いますが、私の場合は様々なヘッドホンの音を聴いてきた経験上、この程度の音質差はありうる話で明らかに不良とは断言できないと判断しました。言い換えると、今回くらいの音の違いは個体差の範囲と考えられるということです。ただし、もしこれが1万円以上のヘッドホンであれば、私も不良と判断したと思います(つまり、ある程度高価なヘッドホンではここまでの個体差はまずないということです)。また、厳しく見るならCについても不良と判断する人もいるでしょう。つまり、初期不良で交換したものも含めると、厳しく見れば私が入手したHP-S150は4台中4台が不良と言うこともできるということです。そう考えるなら、HP-S150は個体差の大きさではなく不良の多さが致命的ということになります。
それから、今回の結果を左右別々・6台の結果として見ると、ALとBLが不良でそれ以外が正常と判断する人も多いと思いますが、その正常なものにしても測定誤差よりかなり大きい違いがあるように見えます。例えば、周波数特性のところで見た1kHzの音量差だと、7.3dBです。この値だけを見ても、HP-S150の個体差はある程度大きいと言えるように思います。
今回の測定に使用した3台のHP-S150の違いを不良と考えるか個体差と考えるかは人それぞれ違うかもしれませんが、それとは関係なく今回の結果は別の意味でも参考になるのではないかと思います。それは、あるヘッドホンの音質について他人の書いた記述と自分の持っている印象とが異なる場合、それは不良や個体差が原因である可能性があるということです。そのヘッドホンの音質としてどちらがメーカーの意図したものなのか、どちらがより多く存在しているのかは知りようがありませんが、不良や個体差の可能性を念頭に置いていれば他人の記述や自分の耳を変に疑うことは避けられるのではないでしょうか。もちろん、同じ音を鳴らすヘッドホンを使っていて意見が違っている可能性もありますが・・・・・・
また、最近は外観の変更を伴わないマイナーチェンジの噂を頻繁に目にしますが、これらの中には個体差やメーカーも把握していない微妙な製造条件の変化によるものもあるのではないかと、個人的には考えています。今回の結果を見れば、この考えに同意して頂ける人も多いのではないでしょうか。
ともあれ、今回の内容が何らかの形でお役に立てば幸いです。
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